三斗小屋宿跡

住所 栃木県那須塩原市板室(三斗小屋)
電話番号 0287-37-5419

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概要

三斗小屋宿跡は、三斗小屋温泉の西方約3km、板室本村から12kmほど北、那珂川上流の標高1100mの山あいにあります。天和3年(1683)会津西街道が天災で遮断されたため、会津藩が元禄8年(1695)に会津と氏家を結ぶ会津中街道を新しく開削し、国境の大峠の北側に野際新田宿、南側に三斗小屋宿を設けました。

おすすめ情報

元禄9年(1696)の会津藩の記録では人家はなかったとありますが、その後、人が移り住み物資輸送や宿泊関係の仕事にあたりました。三斗小屋の北には標高1,468mの大峠、南には麦飯坂があって、この一帯は街道一の難所でした。

江戸時代の末期には修験道の白湯山信仰が盛んになるとその登山口として栄え、安政3年(1856)の山開きには参詣者が1日に1,000人を超えた記録があります。そのため、今なお寄進された常夜灯や石仏・大鳥居(平成19年復元)などが残っています。

三斗小屋宿は、慶応4年(1868)の戊辰戦争の際、会津軍(旧幕府軍)が駐屯し、新政府軍との激しい山岳戦が展開された場所でもあります。この戦いは新政府軍が勝利し、この戦火により三斗小屋宿の14戸が焼失しました。宿跡の南方約200mの墓地には、戊辰戦死若干墓が残ります。

明治26年(1893)には三斗小屋に銅山が開かれ、宿の近くで精錬が行なわれましたが、明治41年(1908)5月の大火で14戸すべてが焼失し、昭和32年(1957)に最後の1戸が転出して無人の地となりました。

市指定史跡

料金

無料